羽後
うご
名詞
標準
Ugo (former province located in parts of present-day Akita Prefecture)
文例 · 用例
東は十和田湖の西より北走する津軽半島の脊梁をなす山脈を限とし、南は羽後境の矢立峠・立石越等により分水線を劃し、西は岩木山塊と海岸一帯の砂丘(屏風山と称す)に擁蔽せらる。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
正保元年三月には日光山、同年九月には羽後の本荘、同三年四月には陸前、磐城、武蔵、同四年五月には、また武蔵、相模に大きな地震があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
貞保二年九月には周防、長門、同三年八月には遠江、三河、山城、元禄七年五月には羽後の能代、同十年十月には相模、武蔵に、それぞれ地震があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
文化元年六月には、羽前、羽後に地震があって象潟に海嘯。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
羽後の七座山には勤鼠大明神の祠あり。
— 鼠に関する民俗と信念 『十二支考』 青空文庫
九州第一の高山は、豐後日向の界なる祖母嶽の五千八百尺、四國第一の高山は阿波なる劍山の六千四百五十二尺、中國第一の高山は伯耆なる大山の五千六百五十三尺、奧羽第一の高山は羽後なる鳥海山の七千三百五十九尺也。
— 大町桂月 『一萬尺の山嶽』 青空文庫
北国の三国港、金石港、それからぐるりと能登半島を廻つて、七尾、魚津、越後に入つて出雲崎、それから羽後の酒田港かういふ港々が絶えず船で大阪と結び附けられてあつた。
— 田山録弥 『西鶴小論』 青空文庫
幸に宮から幕府へ傳達せられ、時の將軍綱吉も驚いて沼田領の實際を探つて見ると果して訴状の通りであつたので直ちに領地を取上げ伊賀守をば羽後山形の奧平家へ預けてしまつた。
— 若山牧水 『みなかみ紀行』 青空文庫
作例 · 標準
例句