遠州流
えんしゅうりゅう
名詞
標準
Enshū school of tea ceremony
文例 · 用例
武野紹鴎とか千利休が出て法式を整へたので、千家表流・千家裏流・千家武者小路流などが出来、更に、石州流・有楽流・藪内流・遠州流などの流派が出来た。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
花の方は、別だん受けついだというほどでもないが、「遠州流はどうもちっと拵えすぎたようで厭じゃ。
— 堺利彦 『私の父』 青空文庫
「これは、これは、利休宗匠でいらせられますか」 遠州は自分の工風した遠州流のものごしで叮嚀に挨拶しました。
— 薄田泣菫 『利休と遠州』 青空文庫
活花にても遠州流など申して、一定の法則を墨守致し候も有之候へども、これ恐らくは小堀遠州の本意にはあるまじく、要するに趣味は規則をはづれて千変万化する所に可有之候。
— 正岡子規 『病牀六尺』 青空文庫
陸は遠州流の活花をも学んだ。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
涙を零しながら欄の上から顔を出して下を見ると、遠州流の生花の心の枝のやうな反り返つてひよろながいアカシヤの木の根の下の処に向ひ合つて置いた二つのベンチに人の出て居るのが目に入つた。
— 與謝野晶子 『午後』 青空文庫
そればかりか私の家なぞは祭りと言っても別段何をするのでもないのに引き替えて商家では稼業を休んでまでも店先に金屏風を立て廻し、緋毛氈を敷き、曲りくねった遠州流の生花を飾って客を待つ。
— 水上滝太郎 『山の手の子』 青空文庫
十 大名の下屋敷の庭の構造などは、大概似たようなものであって、泉水、築山、廻廊、亭、植え込み、石灯籠、幾棟かの建物――などというようなありきたりのものを、小堀流とか遠州流とか、そういった流儀に篏めて、縦横に造ったものに過ぎないのである。
— 国枝史郎 『十二神貝十郎手柄話』 青空文庫
作例 · 標準
小堀遠州を始祖とする遠州流のお点前は、武家らしい凛とした美しさがある。
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「今度の茶会は遠州流の先生が席主を務められるそうですよ」
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遠州流の茶道では、茶室の造りや庭の構成にも独特のこだわりが見られる。
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標準
Enshū school of ikebana
作例 · 標準
「こちらの生け花は遠州流の伝統的な手法で、枝の曲線が特徴的です」
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遠州流のいけばな教室に通い始めてから、植物の自然な姿を意識するようになった。
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展覧会で展示されていた遠州流の作品は、余白を活かした見事な構成だった。
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ウィキペディア
遠州流は、江戸時代初期の茶人・小堀遠州を流祖とする茶道の一派である。遠州は古田織部に師事し、その教えに自身の美意識と創意を加えることで、独自の様式を確立した。遠州の家系はその後も代々茶道を継承し、遠州茶道宗家として現在まで続いている。遠州は徳川三代将軍・家光の茶道指南役を務め、禁中や仙洞御所にも出仕したことから、公家や大名、旗本といった上層武士階級の門人を多く抱えた。関西地方における遠州流は、大正時代初期に高谷宗範によって広く普及した。また、遠州の二世・小堀正之の弟である政尹は「権十郎」と称し、宗家とは別系統ながら著名な茶人として知られている。
出典: 遠州流 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0