応天
おうてん
名詞
標準
文例 · 用例
たとへば、ある神に属する神楽は、応天門――勿論朱雀門を過ぎて――豊楽院の後房なる清暑堂に入り来つたとも考へられる。
— ――序説として―― 『唱導文学』 青空文庫
従つて其守護の記念として残つたものが、平安京の応天門である。
— ――その基礎論―― 『日本文学の発生』 青空文庫
二人はまた食うあてがなくなり、以前よりいっそうみじめな境涯に堕落し、安衆房の散所で人にいえぬようななりわいをして命をつないでいたが、その冬、国吉は馬宿と喧嘩して殺され、泰博は翌年の春、応天門の外でこれも何者かに斬られて死に、二男と三男は泰文の望みどおりにはやばやと持仏堂下の墓に入った。
— 久生十蘭 『無月物語』 青空文庫
日本と天皇の関係が神の問題に相応するかどうかは今後の問題だが、一応天皇をたゞの人間に戻すことは現在の日本に於て絶対的に必要なことゝ信ずる。
— 坂口安吾 『天皇小論』 青空文庫
二人はまた食うあてがなくなり、以前よりいっそうみじめな境涯に堕落して、安衆房の散所で人にいえぬようななりわいをしてかすかに命をつないでいたが、国吉はその冬、馬宿と喧嘩して殺され、泰博は翌年の春、応天門の外でこれも何者かに斬られて死に、二男と三男は泰文の望みどおりに持仏堂の下の墓へ入った。
— 久生十蘭 『無月物語』 青空文庫
「わしだって、いつか、応天門の附近で、あれに会っているよ。
— 吉川英治 『平の将門』 青空文庫
昭慶門や応天門へ廻るには、すくなからぬ距離である。
— みなかみ帖 『私本太平記』 青空文庫
平安朝の初めに應天門を燒いた謀叛人の伴大納言善男がまだ田舍で郡司の從者をして居る程の卑しい身分であつた頃、東大寺と西大寺の塔に兩足を掛けて立つた夢を見て、その事を妻に話すと、無智な妻は「股が裂けるでせう」と云ふやうなことを云ひました。
— 與謝野晶子 『夢の影響』 青空文庫
ウィキペディア曖昧さ回避
応天(おうてん) 応天府 (曖昧さ回避) 元号 応天 (史思明) - 唐代史思明が使用した元号(759年)。 応天 (朱泚) - 唐代の反乱軍指導者朱泚が使用した元号(783年)。 応天 (桀燕) - 五代十国時代、後梁より自立し大燕政権を樹立した劉守光が使用した元号(911年-913年)。 応天 (西夏) - 西夏の襄宗の治世で用いられた元号(1206年-1209年)。 応天 (前黎朝) - ベトナムの前黎朝で用いられた元号。
出典: 応天 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0