嘉永
かえい
名詞
標準
Kaei era (1848.2.28-1854.11.27)
文例 · 用例
嘉永元年九月十二日の宵である。
— 岡本綺堂 『影を踏まれた女』 青空文庫
それは嘉永二年六月のはじめで、ことしの梅雨のまだ明け切らない暗い日であった。
— 岡本綺堂 『影を踏まれた女』 青空文庫
「児雷也豪傑譚」の初編の出たのは天保十年で、作者も最初から全部の腹案が立っていた訳でもないらしく、それが大当りを取ったところから、図に乗って止度も無しに書きつづけているうちに、第十一編を名残として嘉永二年に作者は死んだ。
— 岡本綺堂 『自来也の話』 青空文庫
その上演は嘉永五年、河原崎座の七月興行で、原作の初編から十編までを脚色して、外題はやはり「児雷也豪傑|譚話」――主なる役割は児雷也(団十郎)、妖婦越路、傾城あやめ、女巡礼|綱手(岩井粂三郎)、高砂勇美之助、大蛇丸(嵐|璃寛)などであった。
— 岡本綺堂 『自来也の話』 青空文庫
ところが、ここに一つの不思議な事件が出来したのです」 嘉永六年七月には徳川|家慶が薨去したので、七月二十二日から五十日間の鳴物停止を命ぜられた。
— 十五夜御用心 『半七捕物帳』 青空文庫
嘉永元年六月二十七日に、子之助の祖父伊兵衛が七十余歳で歿した。
— 森鴎外 『細木香以』 青空文庫
文淵堂所蔵の「狂歌本朝二十四孝」「狂歌調子笛」等は早く嘉永六年に印刷せられたものである。
— 森鴎外 『細木香以』 青空文庫
嘉永元年戊申、二歳。
— 森鴎外 『能久親王年譜』 青空文庫
作例 · 標準
嘉永の開国は日本の歴史に大きな影響を与えた。
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嘉永年間に多くの異国船が来航した。
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嘉永七年、ペリー提督が再び浦賀に来航した。
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この古い書物には、嘉永時代の出来事が詳しく記されている。
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ウィキペディア
嘉永(かえい、 は、日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。孝明天皇の即位に伴い定められた。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。
出典: 嘉永 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0