悲田
ひでん
名詞
標準
文例 · 用例
悲田の非人小屋として名高いその小屋と、薩摩屋敷の二ヵ所だった。
— 佐々木味津三 『流行暗殺節』 青空文庫
無論、薩摩屋敷へかくれることが出来たら、金城鉄壁だったが、つねに百五十人から二百人近い非人が密集していると伝えられている悲田のその小屋へ駈けこんでも、当座、身をかくすには屈強の場所だった。
— 佐々木味津三 『流行暗殺節』 青空文庫
当時の仏寺は、信仰の道場だけではなく、四天王寺の如きは、外交上の儀式にも用ゐられたし、学校でもあり、又寺内に、悲田院、療病院、施薬院があつて、社会事業的施設でもあつたのである。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
即ち奈良朝に於て種芸、種智、悲田、施療の諸院を開きたる例に則り、諸種の新しき施設を先づわが京都府より試みんとし、府の大参事植村正直氏を初め、友人金閣寺住職伊藤貫宗、銀閣寺住職佐佐間雲巖諸氏に議りて、その協賛を得つ。
— 與謝野禮嚴 『禮嚴法師歌集』 青空文庫
たゝきと言ふ悲田院の者も、實は此夜門戸を叩いて唱へ言をして歩いたからであらう。
— まれびとの意義 『國文學の發生(第三稿)』 青空文庫
つまり悲田院を個人の手でやらうといふわけで、これも児玉の理想主義のあらはれと見れば見られるが、何といつても苦しまぎれの手段であることは否めない。
— 神西清 『地獄』 青空文庫
京都付近でこれまで小屋者と言われていた悲田院の部落のものの中で、今日なお特殊部落として認められているものは、僅かに柳原の一部に住んでいるもののみで、一般民からはなお多少の区別をするのがあっても、今は官署の統計上にもその別は認めておらんのであります。
— 喜田貞吉 『特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ』 青空文庫
もっとも京都の河原者は、徳川時代には悲田院と云って、市中の警固や、盗賊追捕などの用にも使われました。
— 喜田貞吉 『特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ』 青空文庫