日豊
にっぽう
名詞
標準
文例 · 用例
六月十七日安藝宮島の市、三月二十四日下の関阿弥陀寺の市、八月十五日豊後浜の市である。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
某日豊雄が店にいると、都の人の忍びの詣と見えて、いとよろしき女が少女を伴れて薫物を買いに来た。
— 雷峯怪蹟 『蛇性の婬』 青空文庫
一方、文学は質において果して今日豊饒であろうか。
— 宮本百合子 『鴎外・芥川・菊池の歴史小説』 青空文庫
明日豊島与志雄 或る男が、次のようなことを私に打明けた。
— 豊島与志雄 『明日』 青空文庫
太宰治との一日豊島与志雄 昭和二十三年四月二十五日、日曜日の、午後のこと、電話があった。
— 豊島与志雄 『太宰治との一日』 青空文庫
二年後の一五五四年十月に彼が豊後に送った書簡(一五五五年九月二十日豊後発シルヴァの書簡に収録)によると、山口の領主の重臣ファイスメの義兄弟であるアンブロシヨの葬儀には、トルレスが男女の信者二百余人をひきいて参加した。
— 日本の悲劇 『鎖国』 青空文庫
日本人は記憶がよく、スペイン人よりも理解力がすぐれている、とフェルナンデスが報告している(一五六一年十月八日豊後発)。
— 日本の悲劇 『鎖国』 青空文庫
今でも、日豊線に「宇佐」という駅名が残っている。
— 三遊亭金馬 『江戸前の釣り』 青空文庫
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日豊(にっぽう)は、旧令制国の豊後国及び日向国を合わせた地域の呼称である。また、大分県及び宮崎県を合わせた地域も、旧国の豊後国及び日向国におおむね相当することから、日豊と呼ばれることがある。
出典: 日豊 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0