登拝
とうはい
名詞
標準
文例 · 用例
狭い頂上に敷き詰めてある丸い小石は、登拝者の持って来たものであろう。
— 木暮理太郎 『黒部川奥の山旅』 青空文庫
土人は之を尊崇して登拝者は木刀を奉納することになっている。
— 木暮理太郎 『望岳都東京』 青空文庫
雄山神社の社前に敷き詰められた丸石は、辻本君に拠ると「立山が白山よりも馬の沓一束だけ低い」という口碑に基づいて、登拝者が一寸でも本山を高めたい真心からわざわざ麓から持参したものだそうである。
— 木暮理太郎 『二、三の山名について』 青空文庫
上流に温泉があって水色が赤いからだともいい、又湯殿山の登拝者が源流で垢離を取る為に垢川と称し、転じて赤川となったものともいわれている。
— 木暮理太郎 『二、三の山名について』 青空文庫
従って登拝者のあったことも察せられ、又貞観十三年五月十六日の条には、十六日辛酉、是より先出羽国司言ふ、従三位勲五等大物忌神社、飽海郡の山上に在り、巌石壁立し、人跡到る稀なり、夏冬雪を戴き、禿して草木無し。
— 木暮理太郎 『山の今昔』 青空文庫
之は鳥海山の噴火を国司の奏聞したものであるが、同じく山上にお宮のあったことが知られ、且つ人跡到る稀なりは人跡到る無しではないから、稀であっても登拝者の絶無でなかったことを語るものである。
— 木暮理太郎 『山の今昔』 青空文庫
徳川時代に於て山登りが如何に普及したかは、中絶していた山の登山が復興し、全国に亙りて「講」と呼ばれる登山結社が設立され、一山にしてよく数十百講、一講にしてよく万を以て数うる信徒を有するものさえあったことから知られる、しかも他講の山に登拝することは互に自由であった。
— 木暮理太郎 『山の今昔』 青空文庫
日次記事に依れば、東寺などで花摘といったのはこの日花御堂を結構して、小釈迦の銅像を安置することで、この日また比叡山|戒壇堂の仏生会に、女人等の常は登拝を許されざる者も参詣し、同じ序に東坂本栗坂の上なる花摘社に詣ずるとある。
— 柳田国男 『年中行事覚書』 青空文庫