崩後
ほうご
名詞
標準
文例 · 用例
応神帝崩後、額田ノ大中彦、倭ノ屯田・屯倉を自由にしようとなされて、是屯田は元来「山守ノ地」だから、我が地だと言はれた。
— ――序説として―― 『唱導文学』 青空文庫
兔に角漢以後の諡は、行の迹といふ本義を失ひ、ただ崩後飾終の追讚に過ぎなくなつた。
— 桑原隲藏 『秦始皇帝』 青空文庫
高祖の崩後、漢の君臣は專心この政策を襲踏して、如何なる匈奴の慢辱をも神妙に我慢して居る。
— 桑原隲藏 『秦始皇帝』 青空文庫
萬世までもと豫期した始皇の望は絶えて、彼の崩後三年の間に、社稷覆るとは誠に悲慘な末路であるが、之が爲に始皇を輕重することは出來ぬ。
— 桑原隲藏 『秦始皇帝』 青空文庫
李蓮英は明治四十四年に、丁度西太后の崩後二年半ばかりで、六十九歳を以て世を辭した。
— 桑原隲藏 『支那の宦官』 青空文庫
帝紀と本辭とを組み合わせて書かれている部分は、大體、帝紀の記事を二つに分け、その中間に本辭からの物語を插んで成立しており、また天皇崩後の物語をその後に附けているところもある。
— 解説 『古事記』 青空文庫
最初天武帝がその皇后の眼病平癒を祈願するために計画せられたものを、帝の崩後、皇后(持統女帝)が、十年余の歳月を費やして完成せられたのである。
— 和辻哲郎 『古寺巡礼』 青空文庫
それらを考え合わせると、孝徳崩後に至って突如としてかくのごとき新様式の傑作が現われたことは、きわめて解しやすくなる。
— 和辻哲郎 『古寺巡礼』 青空文庫