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絵鞆

えとも
名詞
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標準
文例 · 用例
曇の字は安曇のズミであるため、ついにエズミになったのを、町村制施行の際に故称に復したのであるが、『出雲風土記』によれば、神亀三年までは文字を恵伴と書き、神がこの地形を見て絵鞆のごとくなるかもと仰せられたための地名とあれば、本当はエドモである。
柳田國男 地名の研究 青空文庫
絵鞆崎とも江友ともあるが元禄郷帳にはエンドモという。
柳田國男 地名の研究 青空文庫
今もし、紀伊|西牟婁郡|江住村大字江住浦佐渡佐渡郡|小木町大字江積壱岐壱岐郡|香椎村字江角右三ヶ所の地形が果して自分の想像するごとく、出雲の江角と類似の地形であるならば、自分は『風土記』の絵鞆伝説なんかは無視してしまって、この地名を少なくもアイヌ語のエンルムと同原より出づるものと論じたいのである。
柳田國男 地名の研究 青空文庫
歴史に從へば、江戸時代が蝦夷地の經營に直接身を入れだしたのは寛政以後、松平樂翁以來のことだといふから、この圖が出來たころまでは松前(函館)も繪鞆(室蘭)も、特別以外の航路としてはなかつたのであらうし、薩摩の更に南方琉球との航路も、直轄島津藩との間にのみあつたのであらう。
徳永直 光をかかぐる人々 青空文庫
そしてヴアンクヴア大佐が困難な多島海の測量を終へて退くと、その部下ブラフトン大尉が、愈々クツク以來の宿願である日本沿岸測量を遂行、寛政五年の九月、暴風の中を津輕海峽に達し、北上して蝦夷地の繪鞆(室蘭)に入港投錨したのであつた。
徳永直 光をかかぐる人々 青空文庫
家老松前左膳はオシヤマンベにおいて英船渡來の報を知るや、早速藩廳から高橋、工藤の他數名の藩士に、少しロシヤ語のわかる醫師加藤肩吾をつけて繪鞆へ急行させた。
徳永直 光をかかぐる人々 青空文庫
ブラフトン大尉は平和裡に二週間を繪鞆に碇泊。
徳永直 光をかかぐる人々 青空文庫
臺灣海峽を通過して沖繩島に達し、再び太平洋岸にぬけて、こんどは日本本土に近接、海圖に記入しながら江戸灣なども確かめて夏の終りに繪鞆へ入港した。
徳永直 光をかかぐる人々 青空文庫