肥後守
ひごのかみ
名詞頻度ランク #25129 · 青空 0 例
標準
higonokami
文例 · 用例
寛永十八年妙解院殿存じ寄らざる御病気にて、御父上に先立、御卒去遊ばされ、当代|肥後守殿光尚公の御代と相成り候。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
床の間に並べ有之候御|位牌三基は、某が奉公|仕りし細川越中守|忠興入道宗立三斎殿御事松向寺殿を始とし、同越中守|忠利殿御事妙解院殿、同肥後守|光尚殿御三方に候えば、御手数ながら粗略に不相成様、清浄なる火にて御焼滅下されたく、これまた頼入り候。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書(初稿)』 青空文庫
然るところ寛永十八年妙解院殿存じ寄らざる御病気にて、御父上に先立ち、御|逝去遊ばされ、肥後守殿の御代と相成り候。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書(初稿)』 青空文庫
その後肥後守は御年三十一歳にて、慶安二年|俄に御逝去遊ばされ候。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書(初稿)』 青空文庫
笠井肥後守この体を見て馳せ来るや、馬から飛び下り、「この馬に召さるべし」と云う。
— 菊池寛 『長篠合戦』 青空文庫
細川越中守忠利は、地白、上に紺の九曜の紋ある旗を掲げ、狸々緋の二本しないの馬印を立て、黒白段々の馬印従えた肥後守光利と共に、三の丸前門を攻撃した。
— 菊池寛 『島原の乱』 青空文庫
喜右衛門と云ふのは、仮名でその実は江州の浪人|古高俊太郎と云ひ、八月十八日の政変に就て、深く中川宮と松平|容保を怨み、烈風の日を待つて、火を御所の上手に放ち、天機奉仕に参朝する中川宮を始め奉り、守護職松平肥後守を途中に要撃しようとする、計画である。
— 池田屋襲撃 『大衆維新史読本』 青空文庫
」「三條小路の旅宿池田屋惣兵衛方、及び縄手の旅宿四国屋重兵衛方に、長州人や諸浪士が集合して何やら不穏の企みをしてゐる」 京都市中見廻役として、治安の責任の一半を担つてゐる新撰組は、取り敢へず、黒谷なる京都守護職松平肥後守邸に、応急の措置を求むる為速報した。
— 池田屋襲撃 『大衆維新史読本』 青空文庫
作例 · 標準
祖父が愛用していた肥後守で、使い込まれた鉛筆を器用に削ってもらった。
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昔の子供たちは、肥後守一本で竹トンボや割り箸鉄砲を自作して遊んだものだ。
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研ぎ澄まされた肥後守の刃先は、独特の鈍い銀色の光を放っている。
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ウィキペディア
肥後守(ひごのかみ)は、日本で戦前から使われている簡易折りたたみ式刃物(ナイフ)。
出典: 肥後守 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0