太平記
たいへいき
名詞
標準
Taiheiki (Japanese historical epic, said to have been written by Kojima Houshi in the 1370s)
文例 · 用例
流布本太平記巻三十六、細川|相模守清氏叛逆の事を記した段に、「外法成就の志一上人鎌倉より上つて」云祇尼天に足利義詮を祈殺そうとの願状を奉ったのである。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。
— 国木田独歩 『武蔵野』 青空文庫
十八の年まで淋しい山里にいて学問という学問は何にもしないでただ城下の中学校に寄宿している従兄弟から送って寄こす少年雑誌見たようなものを読み、その他は叔母の家に昔から在った源平盛衰記、太平記、漢楚軍談、忠義水滸伝のようなものばかり読んだのでございます。
— 国木田独歩 『女難』 青空文庫
けれども、北陸線の通じなかつた時分、舊道は平家物語、太平記、太閤記に至るまで、名だたる荒地山、歸、虎杖坂、中河内、燧ヶ|嶽。
— 泉鏡太郎 『麻を刈る』 青空文庫
それから、父親の居る時分、連立って阿母の墓参をすると、いつでも帰りがけには、この仁右衛門の堂へ寄って、世間話、お祖師様の一代記、時によると、軍談講釈、太平記を拾いよみに諳記でやるくらい話がおもしろい爺様だから、日が暮れるまで坐り込んで、提灯を借りて帰ることなんぞあった馴染だから、ここへ寄った。
— 泉鏡花 『縁結び』 青空文庫
物語の類、例へば太平記、平家物語、等は高等民種の中に歓迎せられたりと雖、平民社界に迎へらるべき様なし、かるが故に彼等の内には自ら、彼等の思想に相応なる物語、小説の類生れ出でたり、加ふるに三絃の発明ありてより、凡ての趣味の調ふに於て大に平民社界を翼け、種々の俗曲なるもの発達し来れり。
— 北村透谷 『徳川氏時代の平民的理想』 青空文庫
『太平記』の記者は、「日来武に誇り、本所を無する権門高家の武士共いつしか諸庭奉公人と成、或は軽軒香車の後に走り、或は青侍格勤の前に跪く。
— 菊池寛 『四条畷の戦』 青空文庫
後醍醐天皇が伯耆船上山に御還幸の時、名和長重は「古より今に至るまで、人々の望む所は名と利の二也」と放言して、官軍に加ったことが『太平記』に見える。
— 菊池寛 『四条畷の戦』 青空文庫
作例 · 標準
『太平記』は、南北朝時代を詳細に描いた日本の古典的な歴史叙事詩です。
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『太平記』を読むことで、14世紀の武士文化についての洞察が得られます。
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叙事詩『太平記』は、戦争と忠誠の複雑な物語です。
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ウィキペディア
『太平記』(たいへいき)は室町時代に成立した日本の古典文学作品。鎌倉時代末期から南北朝時代、室町時代初頭の動乱を描く軍記物語。
出典: 太平記 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0