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没処

ぼつしょ
名詞
1
標準
文例 · 用例
即、その国書の中には「日出処天子、致書於日没処天子」とあり、日本と支那とを対等の位置に置いてあったのである。
国枝史郎 日本上古の硬外交 青空文庫
この時の我が国書には、「日出処の天子書を日没処の天子に致す、恙なきや」とあったという。
喜田貞吉 国号の由来 青空文庫
四 日出処と日没処「倭」または「大倭」の文字を以て我が日本国家を表わすことは、もと支那人の誤り用いたところをそのままに襲用したもので、応神天皇以来の支那の南朝諸国との交通の際には、便宜その文字を用いられたもののようではあるが、それはもとより我が国号として適当のものではない。
喜田貞吉 国号の由来 青空文庫
支那を日没処と呼ぶことは、実はこの時に始まったものではなく、その由来はすこぶる久しいものであった。
喜田貞吉 国号の由来 青空文庫
されば推古天皇の国書に、隋を指して日没処とあることは、畢竟古来の伝統によるクレの名を、別の文字を以て表わしたものに他ならぬ。
喜田貞吉 国号の由来 青空文庫
されば我が対等国家の礼を以て遣わした国書を見て、不満であったに無理はないが、しかもその我を以て旭日昇天の義ある日出処と称し、彼を目して凋落の義にも取れやすき日没処となした点においてまた少からぬ不愉快を感じたのであったに相違ない。
喜田貞吉 国号の由来 青空文庫
推古天皇の御世、初めて日本の朝廷から隋へ國書を差出した時にも、日出處天子、致書日沒處天子とか、東天皇敬白西皇帝とか、對等の文句を用ゐて居る。
桑原隲藏 東洋史上より觀たる明治時代の發展 青空文庫
それに國書の如きも隋書に載れる日出處天子致書日沒處天子無恙云々の如きは、其の語氣から察するに、恐らく太子自ら筆を執られたものであつたらしく、全然對等の詞を用ひられたので、隋の煬帝の如き、久しく分離した支那を統一したと謂ふ自尊心を持つて居る天子をして、從來に例の無い無禮な國書だと驚かしめたのである。
内藤湖南 聖徳太子 青空文庫