右京大夫
うきょうのだいぶ
名詞
標準
Ukyō no Daibu (title under the ritsuryō system)
文例 · 用例
尋で使を肥前名護屋に遣はし、秀吉の陣を犒ひ、三年正月には従四位下右京大夫となり、慶長五年関ヶ原の役には、兵を出して徳川家康の軍に従ひ、西上して大垣に戦ひ、上野国大館二千石を加増す。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
実弟須磨右衛門は親切にはしてくれるが、世話にばかりなってもいにくいので、未亡人は余り忙しくない奉公口をと云って捜して、とうとう小川町|俎橋際の高家衆大沢|右京大夫基昭が奥に使われることになった。
— 森鴎外 『護持院原の敵討』 青空文庫
領主|佐竹右京大夫義堯は、弘前の津軽|承昭と共に官軍|方になっていたからである。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
父は信濃国松代の城主真田右京大夫幸弘の医官立田玄杏で、杏庵は其四男に生れた。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
文化九年五月七日、佐竹右京大夫様御家来小倉亘妹縁談願之通被仰付。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
然るに天民は出羽國秋田郡久保田の城主佐竹右京大夫|義厚の抱への身分で、佐竹家藏屋敷の役人が「世話を燒いてゐる」ので、町人共が「金子の謝禮はなるまいとの間ちがひ」をしたので、ここも所得は少かつた。
— 森鴎外 『壽阿彌の手紙』 青空文庫
都では、免官される者も多く、重だったものでは、按察大納言資賢、子息|右近衛少将兼讃岐守源資時、参議皇太后宮権大夫兼右兵衛督藤原光能、大蔵卿右京大夫兼伊予守高階泰経、蔵人左少弁兼中宮権大進藤原基親らがそれで、そのうちでも按察大納言は、子息、孫共に都を追放の憂き目にあった。
— 第三巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
しからばその召仕にはいかなる者どもがおったかというに、最古参者は父公保の時代永享十一年十八歳で三条西家へ奉公し、もって実隆の代に至るまで歴仕した右京大夫という侍女である。
— 原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』 青空文庫
作例 · 標準
例句