東関
とうかん
名詞
標準
文例 · 用例
この「東北文学」という雑誌は、ご承知の如く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、この雑誌のおもな読者はやはり東北地方、しかも仙台附近に最も多いのではないかと推量されます。
— 太宰治 『たずねびと』 青空文庫
主人は京都の浄雪の門から出た昔気質の職人肌、頑固の看板と人から笑はれてゐた丁髷を切りもやらぬ心掛が自然その技の上にあらはれて、豪放無類の作りが名を得て、関東関西の取引の元締たる久宝寺町の井筒屋、浪花橋の釘吉、松喜、金弥などと云ふ名高い問屋筋の信用も厚く、註文引きも切らずと云つた状態であつた。
— 幸田露伴 『名工出世譚』 青空文庫
四、五年の間は、関東関西と、梭のように駆け回った。
— 菊池寛 『仇討三態』 青空文庫
今さら関東関西の諸大名が一大|合戦に運命を決したような関ヶ原の位置を引き合いに出すまでもなく、古くから東西両勢力の相接触する地点と見なされたのも隣の国である。
— 第一部上 『夜明け前』 青空文庫
田沼侯は筑波以来の顛末を奏して処置したいとの考えから、その年の正月に京都の東関門に着いた。
— 第一部下 『夜明け前』 青空文庫
手にあまるほどの大盗となり、一泡吹かせてやるつもりさ」 暁星五郎という大盗が、関東関西を横行したのは、それから間もなくのことであった。
— 国枝史郎 『首頂戴』 青空文庫
翠華は、揺々として西に向ひ、霓旌は飜々として悲風に動く、嗚呼、「昨日は東関の下に轡をならべて十万余騎、今日は西海の波に纜を解きて七千余人、保元の昔は春の花と栄えしかども、寿永の今は、秋の紅葉と落ちはてぬ。
— 芥川龍之介 『木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)』 青空文庫
手ごたえの無いのは軽蔑してやがるんだ、癪なおやじめと、がんりきはややかさにかかって、「早い話が、そのお邸の中をお借り申して、関東関西のあんまりお固くねえ兄いたちが集まって、お慰みをやろうてえんでございますが、なんとお心当りはございますまいか」「…………」 やっぱり、手ごたえが無い。
— 椰子林の巻 『大菩薩峠』 青空文庫
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東関(あずまぜき)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ。“ひがしのせき”という意味に由来すると推測されているが、真相は定かではない。
出典: 東関 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0