文暦
ぶんりゃく
名詞
標準
Bunryaku era (1234.11.5-1235.9.19)
文例 · 用例
――当時和漢洋の学者、青木昆陽先生の高弟で、天文暦法の実測にかけては、西川正休、武部彦四郎も及ばんという貴公が、どうしたことだ。
— 岡本かの子 『狐』 青空文庫
而してその特異なる點は天文暦日に關するもの也。
— 特に堯舜禹に就いて 『『尚書』の高等批評』 青空文庫
又支那人の方でも、彼等が天文暦算に秀でた事を認め、清朝の官制にも欽天監監正即ち天文臺長ともいふべきものは、滿一人西洋一人を以て之れに充つることに規定され、殊に康熙帝の如きは西洋の學術に注意し拉丁文字迄に通じて居たといふ話である。
— 狩野直喜 『支那近世の國粹主義』 青空文庫
併し當時の支那人が、西洋の文明に對する考へは、唯彼等が天文暦算等の技藝に秀でゝ居るから、其長處だけを利用するといふ位のことで、勿論西洋の文明が自國の文明より同等若しくは其以上のものであるなどいふ考は持たなかつた。
— 狩野直喜 『支那近世の國粹主義』 青空文庫
別に新聞小説というものと悪戦苦闘したわけではなくて、毎日毎日、来る日も来る日も実にキチョウメンに二十四時間しかないときまっている天文暦日の怪と争ったのである。
— 巷談師退場 『安吾巷談』 青空文庫
向かい合っている二人の武士、一人は島津太郎丸、一人は上名古屋の密林で、天文を見ていた高雅の老人、これぞその時代|扶桑第一、天文暦数の大儒者として、吉宗将軍の寵を受け、幕府天文方の総帥となった、求林斎西川正休である。
— 国枝史郎 『任侠二刀流』 青空文庫
陰陽家には二流あって、その一は本来は天文暦象のことを主とする暦家に属したものであるが、天体の観測自身よりも、日月星辰の値遇から吉凶をうらなう占星術の方が主な仕事であった。
— ――『仙書参同契』の解説―― 『古代東洋への郷愁』 青空文庫
天文暦術においても同様に、はなはだ顕著な発展を遂げた。
— 三上義夫 『芸術と数学及び科学』 青空文庫
作例 · 標準
文暦元年は天候不順による飢饉が発生し、都の治安が大きく悪化しました。
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鎌倉時代の古文書には、文暦という元号で記された土地の売買記録が残されている。
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藤原定家が残した日記『明月記』の中にも、文暦年間の宮中の様子が克明に描かれています。
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ウィキペディア
文暦(ぶんりゃく、 は、日本の元号の一つ。天福の後、嘉禎の前。1234年から1235年までの期間を指す。この時代の天皇は四条天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。
出典: 文暦 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0