禁廷
きんてい
名詞
標準
文例 · 用例
昼は禁廷左近の橘の下に茶を売る者あり、夜は三条の橋より内侍所の燈火を望み得たとは、有名な話である。
— 菊池寛 『応仁の乱』 青空文庫
千秋万歳と称して、正月の四日五日に禁廷に罷り出でて色々の曲舞を奏した者も、亦唱門師であった。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
これを京都についてみても、北畠や桜町の声聞師の中の数人が、正月四日五日に禁廷へ出て千秋万歳を奏したり、十八日の三毬杖に囃を唱え、曲舞を舞ったからとて、それで一年中全部落の者が生きられるはずはない。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
これらのことから推測して試みに想像を逞しゅうするならば、京都の北畠・桜町の声聞師も、ただに一定の日に禁裏へ出て千秋万歳や曲舞を奏するばかりでなく、やはり禁廷に付属して、お庭のお掃除や、市内の警固などを担当し、兼ねて種々の雑職に従事していたのではなかろうか。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
その中には禁廷へ出て舞楽を奏するの名誉を有するものもあった。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
併し実際は此の天下一の位は、禁廷の許可したものであつて、翁草の『今回禁廷から谷風、小野川の二人に紫の化粧廻しを許さる』といふのが注目するべきものである。
— 三木貞一 『初代谷風梶之助』 青空文庫
但し其後は一々禁廷とまでは行かずに、五条家(野見宿禰の後裔)から許したので、明治十七年に横綱を許るされた初代梅ヶ谷藤太郎までは、五条家から許されたといふことは、当人の梅ヶ谷が自身に予に語つた処である。
— 三木貞一 『初代谷風梶之助』 青空文庫
信長公は尊王のお志に篤いおかたで、室町幕府の秕政のため、式微にましました禁廷を御造営、また久しく絶えていた欠典をあげ、常職を継ぎ置かれるなど、武家政治はじまって以来、第一に忠臣の誠をお示しあそばしました……お家はこのかたの直流です。
— 山本周五郎 『夜明けの辻』 青空文庫