正六位
しょうろくい
名詞
標準
文例 · 用例
去年十二月二十九日の符が、今年九月になつて、左近衛番長の正六位上|英保純行、英保氏立、宇自加|支興等によつて齎らされ、下毛下総常陸等の諸国に朝命が示され、原告源護、被告将門、および国香の麾下の佗田真樹を召寄せらるゝ事になつた、そこで将門は其年十月十七日、急に上京して公庭に立つた。
— 幸田露伴 『平将門』 青空文庫
『親父さんが何でも陸軍の中將だか少將だので、その男爵を貰つたんですな、たしか從五位だか、いや正六位だつたかな……』と、しきりに例の男爵の話をしてゐた幸吉は、それを見ると急に恐縮さうに、併し嬉しそうに頭に手を上げて背中を丸くした。
— 水野仙子 『醉ひたる商人』 青空文庫
それを西人に先だって知りいたかの僧はなかなか豪いと南方先生に讃めてもらうは、俗吏の申請で正六位や従五位を贈らるるよりは千倍悦んで地下に瞑するじゃろう。
— 田原藤太竜宮入りの話 『十二支考』 青空文庫
明治十年四月の官員録を見るに大審院五等判事正六位鷲津宣光下谷竹町二十四番地と記してある。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫
この渟田の佐伯部の族は、その後にもすこぶる盛んなりしものと見え、天応元年五月、正六位上佐伯部三国に外従五位下を授け、さらに延暦二年六月に、姓佐伯|沼田連を賜わりしことあり。
— 喜田貞吉 『武士を夷ということの考』 青空文庫
また続日本紀大宝二年正月条には、正六位上|丹比間人宿禰に従五位下を授くとあって、別に火明命の後裔と称する丹治比姓のもので、間人姓を称えたものであったと見える。
— 喜田貞吉 『間人考』 青空文庫
蓼科神(正六位上) 信濃国 陽成天皇元慶二年九月従五位下。
— 木暮理太郎 『山の今昔』 青空文庫
すなわち位田は総じて小作料に基づき、職田は従五位以上においては多く小作料に、正六位以下において多く自耕に基づいた収入を意味すると見るのである。
— 和辻哲郎 『日本精神史研究』 青空文庫